夜行列車でトルコからブルガリアへ
どもども。えーてるです。
普段は日本国内で郵便局巡りをしてるけど、最近は海外にお熱です。今後とも海外旅行記が続くと思われます。
ついった:@tel_cellphone
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皆さんは夜通し走る乗り物に乗ったことはあるだろうか?
日本国内で夜通し走る乗り物は、バスが主流だろう。大都市間は、毎晩多くの会社の夜行バスが走り、新幹線よりも圧倒的に安いため、重宝される。私も専ら国内では夜行バスを多用する。
また、海に面している都市間での夜行フェリーも存在する。八戸-苫小牧、神戸-高松など、様々な海に面した都市間での夜行便がある。
一方で、現行(2023現在)の定期夜行列車はサンライズ出雲・瀬戸のみで、寝台のみにならず、雑魚寝のノビノビシートですら予約困難な人気列車である。私はケチなのでノビノビに数回乗車した程度しかない。カシオペアだとか瑞風だとかもあるとは思うが、値段が一桁違う。
今の日本で夜行列車に乗りたければ、サンライズしかないのだ。ムーンライトながらは気付いたら消えていた。一度だけ乗ったことはあるが、座席しかないので夜行バスに感覚は近かった。いわゆる座席夜行ってヤツ。かつてはブルートレインとか言って数多く夜行列車が走っていたらしいが、その頃の私は鉄道なども興味もなく。そもそもそういう列車が廃止になったのは私が小学生とかだろう。
「大人になってから乗りなさい」と親に言われ、気付いたらそんな列車は消えていた、というオタクもいるのではないだろうか?
日本では夜行列車はかなりオワコン化が進んでいる。では海外はどうか?
海外には数多くの夜行列車が存在する。なんなら24時間以上運用する旅客列車も存在する。私は以前、ベトナムのダナンからホーチミンを列車で19時間移動(カンヅメ)で、寝れど寝れど着かなかった記憶がある。
鉄道移動
話を戻して、私は長距離移動をするならば、狭っ苦しいバスよりも鉄道が良いと思う。そのため、バスではなく鉄道を選択した。そちらの方が旅情もあると思ったし。ちょっと私欲が入ってるのは認める。
調べると、イスタンブール市街の外れにあるハラキリハルカリ(Halkalı)という駅から、ブルガリアの首都、ソフィア(София)まで走っているらしい。切符はインターネッツ上では予約は出来ないが、イスタンブール市街地のシルケジ(Sırkecı)駅でも買える模様。当日購入でも席が空いているかは不安なところがあった。満席って言われたら泣いちゃう~
当日
イスタンブール国際空港(IST)に着き、市街へ向かう。市街まで鉄道はあるが、2回乗り換える必要がありやや面倒。
空港の駅でICカード的なものを購入したのだが、この機械のUIがなかなかに酷く手こずった。他の観光客も同様に手こずったのか、券売機は行列で呆れ状態であった。
空港からシルケジ駅までは3回の乗り換えを要するが、面倒なので近い駅から観光も兼ねて歩いて訪問した。一部路線は地下鉄延伸工事をしているようで、今後はもう少し乗り換え回数が減るのかな?
シルゲジ駅に着き、切符売り場を捜索。internationalはコチラ的な案内があったので、そこへ。
席が空いている事を祈り、一番安いベッドの席でお願いすると、無事入手。乗車券と寝台券合わせて775.30₺(≒4300円)で日本に比べると破格。というか日本が高すぎる。ソフィアまでではなく、ブルガリア第二の都市、プロブディフまでの値段。
私の名前やら番号が書かれてるところはなんとなく隠したけど切符はこんな感じ。
無事切符も入手できたので、イスタンブール観光に勤しんだ。
テキトーに船に乗って遊覧しようとkaraköy行きの船に乗ったと思ったら、実はkadıköy行きの船で、全然違う場所に連れて行かれたりしたが、それはまた別のお話。
いざ乗車の時
20時からハラキリ駅で発車なので、TCDDに乗って終点のハラキリへ19時ごろには無難に着いておいた。海外で駆け込み乗車するほどハラハラしたくないし。近くのスーパーで食料を調達し、駅で案内を待つ。1930になると案内が開始され、飛行機であるような手荷物検査からの切符の確認。そしてホームへ。
車両
電気機関車はヒュンダイロテム製のE68000。これに乗る前の週に撮り鉄をしていたので死ぬほど見ていた車両。強いて言えばディーゼル車(アメロコ的なやつ)の方がカッコよくて好きだったのだが贅沢は言ってられない。
客車は白ベースに赤と青のライン。日本で言う宇部線のゆうパック色みたいな感じ?
- 国境越え
- 夜行列車
- 人生初ヨーロッパ
ということで、めちゃくちゃワクワクしてた。
行くぜヨーロッパ!
内装
客車は6両。自分の部屋の席は、昼行時はボックスシートで、座席を倒してベッドが出来上がるスタイルであった。2*2ベッド。コンセントは一つだけ。相部屋の方とシェアして利用した。エアコンもある。
相部屋はドイツ人の鉄オタ、ブラジル人の旅人と私の3人。英語で会話出来たので助かった。なんやかんやありインスタを交換。旅してて思うのが、みんなインスタやってるよね。アカウント持ってて損ないと思う。
他の客室を見ても、チラホラ空席はあった。国内完結のアンカラエキスプレスに比べたら乗車率は少ないのだろう。当日でも買えたわけだし。
予定だとハラキリ2000発、プロブディフ0515発だが、海外の鉄道のことだし、もう少しかかると見ている。仮に定刻で到着して5時台に降ろされたとて朝早すぎるので、遅れてくれた方が丁度いい。
夜行列車なわけで、市街を抜けたら車窓は真っ暗。しばらくして車掌が切符とパスポートの確認。乗客名簿に名前を記入。それから2030ごろまでは互いの自己紹介やら旅行の話云々をしていたが、やることもないので、2030ごろに座席をベッド化。就寝。暑がりなのか1人半裸で寝てた笑
国境(トルコ側)
2時半にふと目が覚め、地図を見る。見事に国境にいた。車両は停車しており、トルコ側のイミグレ的な駅で停車していたようで、「Passport Control!」と車掌の声が客車内に響き渡る。偶然早く目覚めていた私は、すぐさま駅へ降り立ち、地下通路を通って駅舎内の警察の部屋へ。
パスポートにトルコ出国印が押された。Kapıkuleと書かれている。ここの駅名のようだ。鉄道で出国すると、機関車🚂マークで良い。てかなんでパスポートの最後のページに押した?順番めちゃくちゃになるのは入出国印あるあるだけれども。後ろを見れば後から降りてきた乗客で行列が出来ていた。列車は暫く停車する事を見込んで、駅舎や車両の撮影に勤しむ。
Kapıkule Tren İstasyonu
しかしまあ気温が低く寒い。15℃くらい。夏だと思って来てるから半袖しかないんだけど?私は半ば震えていた。
気付けば車両がトルコ国鉄TCDDのものから、ブルガリア国鉄BDZのものに代わっていた。いつの間に。なかなかカッコいい見た目をしている。この国でも撮り鉄したいわねとなった。
なんやかんや1時間くらい停車し、3時半に発車。そして国境を越え、初ヨーロッパ最初の国、ブルガリアへ。
ブルガリアだぴょーん!
よく見たらギリシャとも国境が近く、近くには三県境ならぬ三国境がある様子。
国境(ブルガリア側)
今度は4時手前、再び停車。ブルガリアのSvilengradという駅。また降りて警察のところに行くのかと思えば、警察が全乗客のパスポートを回収しに来た。乗客は降りられないパターンで残念。
1時間弱経過。受け取るまで寝られないので早くしてくれ~となっていたが、5時手前に漸く返却。入国印うっす!もっと強く押してくれよ~
相部屋の人は既に寝ていたため私が受け取った。ブラジルのパスポート、初めて見た。というか他国籍のパスポートを見る機会なんてそうそう無いからね。
そして5時過ぎに動き出した。プロブディフ0515の予定だったが、まだ100km以上あるので2時間は遅れるだろう。なんとなくそんなもんだろうと思ってはいたが。日本だったら特急料金払い戻し案件。
トイレ
結局7時ごろ目覚めるも、まだ着いておらず。トイレに行ったが、至って普通の男女兼用の洋式トイレであった。日本との相違点は、トイレットペーパーをトイレに流してはいけない点だろうか。ケツを拭いたらゴミ箱に入れる。詰まり防止なのだろうけど、そう考えると日本はトイレが優秀か、トイレットペーパーが優秀かのどちらか。
軽く身だしなみ整えて、結局着いたのは8時過ぎであった。車掌が着く5分前にPlovdiv!と叫び乗客を起こす。相部屋の人々はドタバタしてた。起こしてあげれば良かったかしら。
プロブディフ
結局3時間近く遅れてブルガリア第二の都市、プロブディフに到着。終点ではないので到着後、程なくして発車して行った。一体ソフィアには何時に着いたのやら。でも遅延したおかげでそれなりに寝れたので良かった。
先頭車両だと思っていたが、気付けば別の客車が前にくっついていた。これはブルガリア国鉄の客車か。めちゃくちゃ落書きされてる。とさでんのアート列車(オブラートな言い回し)かな?
先頭の機関車もまた変わっていた。カッコいい。やっぱ新しい車両より渋い車両よな。どこでもどんどん淘汰されていくから、古いものは貴重。
駅はバス停やら木やらでいい感じに駅舎が撮れない。そして何やら大規模工事をしており駅前道路が一部通行止めになっていた。
通貨
ブルガリアの通貨単位はレフ。私は未所持だったため、テキトーに歩いて見つけた両替屋でユーロを換えた。40ユーロで80レフくらいだったかな?厳密には忘れた
1BGN=80JPYくらい(2023年9月時点)
極度乾燥(しなさい)
そして個人的ヨーロッパ名物を見物。極度乾燥(しなさい)で有名なSuperdryというブランドはイギリスのブランドで、意外といいお値段するらしい。駅近にある店舗はあまりないので、インターネットオタクは覚えておくと良いだろう。私は見れて感動した。
おわりに
話が逸れてしまったが、トルコからブルガリアの夜行列車はこんな感じ。バスとは違い横になれたり、第三者との交流もできて“旅”みは増すと思う。定時性はあまりないので、そこを気にする方はバスの方が良いかもしれない。国境を越える上で、パスポートでの入出国手続きがあるため「寝てたら違う国だった」という体験は残念ながらできないが、深夜に警察のところに行ってスタンプを押してもらう経験も、海に囲まれた日本ではまず実現できないことである。貴重な体験を是非ともして頂きたい。しかしながら、国境を跨ぐ以上はバスにしろ鉄道にしろイミグレ通過時は起こされるざるを得ないため、快眠を求める人は日中に移動するのが望ましいだろう。
おしまい
4万円で日本からトルコへ
どもども。えーてるです。ブログは不定期にきままに上げていきたいのだが、おでかけばかりしていて振り返る時間が全然ないのよねぇ、、、
ついった:えーてる(🇨🇳) (@tel_cellphone) / X
初めての方は自己紹介
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系統を変えて、旅行記ではなく旅行中に利用したものの感想などを書いていこうかなと。その方がアクセス数増えそうじゃん?
きっかけ
知人の海外鉄に誘われて(Twitterで冗談半分に募集していたのに私が乗っかっただけだが)トルコ行きを決定。しかしほぼヨーロッパなトルコ。ヨーロッパと言ったら航空券は片道10万円以上は軽くしそうなイメージ。毎週国内で郵便局巡りをしている大学生にそんな大金は無い。
海外航空券調べ御用達のskyscannerで確認。結果関空発、北京経由のイスタンブール行きだが、Gotogateで往復79,216円だった。片道約4万円!安いではないか!10万行かなかったのはデカい。ちなみに6/16に購入、乗る日は8/28。帰りの日もテキトーに安い日を狙った。私の海外旅行はまず航空券を買うところから始まる。どこをどう回るかなどは二の次だ。なんやかんや飛ぶ1週間前になって焦って調べ始め、結局決まり切らずに現地で行き先を決めるほどの怠惰っぷり。
関空より出国
東日本人にとって関空は使いにくいが、安いとなれば話は別だ。大阪まで行くのがややダルいが、知人の家に泊まらせて貰ったので宿代はゼロだ。
朝イチで移転改称するらしいメルパルク大阪郵便局へ行き、そこから関空へ。山手線とは違い、大阪環状線は半周だけ回ると、そこから奈良やら和歌山やらどっかに行ってしまうのだ。寝過ごしたら大変。
無難に出発の2時間ほど前に到着。関空からのフライトは国内外含めて初だ。24時間空いてるのをいいことに、空港内で夜を明かしたことは2、3回あるのだが笑
チェックインカウンターに並ぶこと30分、ようやく搭乗券を入手。北京で7時間暇なので、トランジットビザ発給で一時出国を狙いたいが果たして。
中国南方航空
CZ8030 1500関空(KIX)→1725北京大興(PKX)
ぱっと見2時間半のフライトだが、日本と中国は1時間時差があるため、3時間半のフライトとなる。
乗り継ぎのため、既に搭乗券が2枚渡された。日本のハンコ文化は要らない!!でもこういうハンコは欲しいし今後とも残して欲しい!!というダブルスタンダードの元、出国印を押してもらい、保安検査場を抜け、モノレールみたいな何かを用いてゲートまで移動。
どうやらこれはモノレールではなく、水平移動するエレベーターという扱いになるらしい。ご丁寧に駅名まである。本館駅と先端駅。
初めて利用する中国南方航空という会社、一番安かったから勝手にLCCだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
座席後部に液晶画面がついている。USBポートもあって充電も出来てありがたい。これはLCCではあるまい。音楽やアニメ、映画なども観れるようだったが、中国の作品なので知っているものがあるわけもなく。
布丁がプリンなのは、先日偶然見たオモコロチャンネルの動画で覚えていたので、ここ進研ゼミでやったところだ!と少し感動した。私は決してオモコロの回し者ではない。
早めの夜飯だかなんだかわからんが、3時間ぽっちのフライトでも機内食がやって来た。格安航空会社ばかり使っていたので、最安値で移動しているのにリッチになった気分だ。
fishとporkで後者を選択。普通に美味かった。
北京大興国際空港(PKX)
17時半ごろ、PKXに到着。トランジットビザを出すためになる早で動きたいところだが、、、
出、出た~~!!中国あるあるの健康チェック。これを出さないと通過できないダルい仕様。滞在先やら電話番号やら根掘り葉掘り聞いてくる。
月頭にスマホを壊し、新しいのにしたせいで、AlipayやWeChatのアプリをインストールしておらず、加えて低速だったため健康チェックで途方に暮れる羽目に...と思っていたら、機械でもできるようで。ポチポチ操作するとQRの印字されたペラ紙が出てきた。これで通過できた。
続いてトランジットビザを狙うため、右隅の方にあったカウンターへ。そこで一時出国を認めてもらうための紙を書く。
同じような外国人も居たようで、5分くらいで出してもらってた。私もそれに乗っかるように紙を出し、待とうとしたら...
「オマエ、滞在時間短スギ。ノー。」
ちーん。7時間ではダメでした。まあ本命じゃないから、まあ仕方ないか~って感じだが、流石中国って感じもする。めんどくさいぜこの国は。
半日くらいあれば出たのかな?中国はトランジットビザで出るのが1番コスパがいいので、次回はもう少し滞在時間に余裕を持とうと思う。
渋々残りの6時間余りを制限エリアで滞在することとなった私。transferのレーンに戻り、手荷物検査を抜け制限エリアへ。手荷物検査死ぬほど引っかかってだるかった。モバイルバッテリーがダメなのか、わざわざどっか行って確認してた。結局大丈夫だったけど。余計な時間取らせるな。
制限エリア
渋々制限エリアへ。
!!免税店はやっているものの、飯を買ったり食べたりする系の店が軒並み閉店していた...あり得ない話し‼︎
北京大興国際空港(PKX)は北京首都国際空港(PEK)がパンクしていたため、2019年に出来た新しい空港。
しかしながら2020年からコロナ禍になり、国際線は軒並み休止。ここ最近、国際線は再開してきたものの、今まで休んでいた分、多くの店が閉まっていたのだと思われる。こう考えると、PKXは不憫な空港である。
(これは8月末の写真。ちなみに帰りのIST→PKX→KIXで9月中旬に寄った際には、マクドナルド、ケンタッキー、スタバ、ファミマなども営業していた。9月から営業再開とかだったのだろうか?)
出国できなかったが、中国っぽい標語とモニュメント的なものを窓越しに観測できた。ビザ必須な国という時点で面倒だが、次回何かしらトランジット等あれば、リベンジしたいところだ。
制限エリア内を探索して、辛うじて営業していた味千拉麺で飯。おそらくやっていたのはここだけだった。一命を取り留めた。
中国の飲食店は、テーブル隅っこにQRコードがあり、それを読み取りスマホからメニューを閲覧、注文するスタイルが主流。しかしここは空港で、AlipayやWechatPayなどを設定していない旅行者も多いと思われる。一応紙媒体のメニューも存在し、カード決済も出来た。安堵。
いざ、トルコへ
充電できるゾーンに居座り、テキトーに時間を潰し、日付が回る頃に漸く搭乗。
PKX0030→IST0600
トルコと中国は時差が5時間あるため、トルコ時刻だとこのフライトは1930→0600となる。つまり10時間半のクソ長フライトだ。私は高校生の頃カナダのバンクーバーに行ったことがあるが、それよりも長いフライトだったりして。日本から10000kmほども離れた土地に行くのは人生初だった。こんなクソ長フライトを運行する航空会社が流石にLCCではないか笑
席は通路側であったが、トイレが近いのか、隣にいた中国人のオバハンに「席変わってくんね?」と言われたので席を入れ替え。
そして枕と毛布の支給。暇すぎて大半寝るだろうし、ありがたかった。
機内食は離陸から2時間後、着陸の2時間前に2度支給された。時差のせいで最早何飯扱いかさっぱりわからなくなっていたが、ウマかったのでヨシ!
左が魚、右は朝飯だったからかソーセージとスクランブルエッグ的な感じだった。
到着間際、日も上がりかけで良い感じに街の様子が伺えた。赤くライトアップされた橋が目立つが、これはイスタンブールの北側にある、ボスポラス海峡を横断する、ヤウズ・スルタン・セリム橋なる橋だった。
イスタンブール国際空港(IST)
ISTに到着!初のトルコ、そしてヨーロッパは目と鼻の先で興奮した。
Magical journeys start here
いいこと言ってくれるじゃない。
しかしながら、宜しくないスタートを切った。
日本で交換できていなかったトルコリラを交換するために、予定していた額全て交換してしまった。絶対レート悪かったのに...旅行初心者すぎた。空港はレートが悪いため、最低限だけ交換するのが良い。鉄道に乗って市街に行けるレベルの最低限の金のみ調達すれば良かった。それかキャッシングとか。市街でいいとこを探すのが理想であった。
イミグレは何も聞かれずにスタンプをガチャンと押された。昔の貯金の日付印が押された時の音みたいな。アメリカとかと違って何も聞かないのね。
クソデカ空港なので、階層も偶数階しかない。エスカレーターも多く設置しておらず、エレベーターの方が多い。世界のさまざまな都市の行き先が書かれており、ハブ空港だなぁという感じ。
ここも意外と新しく、2018年開港。元々イスタンブール・アタテュルク空港(ISL)が主流だったようだが、今や機能をISTに移転、旅客便はもう運営されていない様子。
この後の市街までの行き方とかを述べても良いのだが、4000文字越えちゃったし、タイトルにそぐわないので、一旦これにておしまい。
良い感じに日付を狙えば、片道4万円でも行けるという記事でした。おわり
中国本土から直通列車で香港へ
どもども。えーてるです。
ブログ久しぶりすぎてごめんなさい、頑張って更新します。
ついった:@tel_cellphone
最初のブログ:はてなブログを開設してみました - ether2klyのブログ
ヨーロッパ海外ネタを放出する前に、前回の中国と香港の分をちょこっと消化することにする。
今回は、深圳→香港について。
香港→深圳は、特区旅遊ビザとやらで、事前にビザを所持していなくても、国境手前で当日にビザを発給できる。朝から並ばないとかなり時間を要するが、深圳市内に5日だけ滞在できる資格が与えられる。
詳しくはこちらのブログにまとめてある。
高速鉄道
行きはMTRに乗り、羅湖(Lo Wu)からビザを発給して抜けたが、帰りはビザの問題を気にせずに香港側に戻れるため、あらゆる口岸(イミグレ)から戻れる。せっかくなので中国本土から直通している列車に乗って帰ることにした。
机上の調査で分かったことだが、この鉄道は広深港高速鉄道と言い、各地名(広州、深圳、香港)から一文字ずつ取った名前をしている。広州市の広州南駅から香港西九龍駅までの路線で、広州-深圳の区間は2011年末に開業。それから数年経ち、深圳-香港の区間は2018年に延伸開業するものの、コロナ禍もあり、2020年の1月から2023年の1月まで、直通運転を休止していたようだ。案外最近できた路線ということになる。
路線自体は
と繋がっており、総じて京港旅客専用線という名前がついている。全ての列車がこれらを直通して走っているわけではないが、北京から香港に行く直通列車も1日1往復のみ存在。その距離なんと約2200kmで、9時間ほどで駆け抜ける。東京から台湾の距離に相当する直通列車。高速鉄道エグいて。
中国の鉄道、ハンパねぇっすわ...
ちなみに、香港に限り乗り越し清算という概念がなく、香港まで乗車券を持たずに到着した場合、どんな理由でも問答無用、不足賃の5割増しの額に加え、最低でも1500香港ドル(≒28000円)以上の罰金が課せられるらしい。絶対乗り過ごせないね...
切符の購入
駅で券売機を軽く操作して調べたら、福田(Futian)駅から香港西九龍駅まで、最短14分。いわば新幹線みたいなものだ。そして本数も多い。しかし、外国人は券売機で買うことはできない。そして特区旅遊ビザで入国する場合、香港西九龍にはビザカウンターはないので、香港側からこの路線には乗ることはできない。故にまともなビザを持ち合わせてない人間にとっては、帰り専用列車だ。
まずは高鉄の福田駅の窓口で切符を購入。意外と福田という駅名、日本にないのね。大都会深圳の西寄りにあり、地下駅。
大量にある券売機をスルーし、窓口へ。先ほどの券売機の写真に丸をし、この列車に乗りたいアピール。スマートフォンを水戸黄門の印籠の如く見せつける。ところがキャッシュレス大国の中国のくせに、まさかの現金を要求されてしまった。キャッシュレス大国だと思ってたから、現金持ち合わせてないけど??
どうやら銀聯カード、UnionPayしか使えないようで、私はVISAとmasterしかクレカを持ち合わせていなかったため、購入できず。幸い駅の深圳地下鉄の入り口近くに、両替屋があったため、そこで日本円から多少の中国元を錬成。もう一度窓口に戻り、購入完了。切符はレシートのようにペラ紙。下部にQRコードがあり、これで改札が通れるようになるのだろう。
一駅で68元。1360円くらい。日本の新幹線一駅分くらいのお値段。番号系は伏せるが、私の名前やらパスポート番号が書かれており、横には外国人护照(外国人旅券)と書かれている。中国国籍かそうでないかで料金が異なったりするのだろうか?そういうシステムの国たまにあるけど。
券売機は中国人にしか使えない仕様だし、窓口じゃ現金要るし意外と面倒だった。
乗車当日
翌日、午前中ちょろっと深圳市内を観光したのち、不安だったため福田駅へ50分ほど前に着き待機。まずは中国入出国お馴染みの健康チェック。からの手荷物検査を抜け、改札内的な空間へ。ホームへはさらに別の改札があり、その手前には売店の全家(Family Mart)があった。
20分ほど前になると、切符やら旅券やらを確認され、漸くホームへ。
全面にホームドアがあるため、あんまりうまく車両は撮れない。いかにも速そうな近代的車両だ。
(実際に旅行している感覚を味わいたい方は、1枚目の画像のプラットフォームを意味する「站台」これを一瞬だけ覚えといてもらおう。)
この列車はどうやら福田始発の香港西九龍行きのようで、10分ほど前から列車は到着しており、待機中であった。
車両は香港鉄路動感号CRH380A型電車という名前らしい。中国本土で使用されているCRH380A型を基礎としており、塗装の差異や、耐火設備等が強化されている様子。
内装(2等)はこんな感じ。デフォルトの座席の角度がとてもじゃないけど座りにくい。リクライニング前提みたいな角度。座席後部から机を出せるスタイルは世界共通ネ。
時間になり、静かに発車。全然揺れない。全て地下区間で、車窓なんて概念がないので、どのあたりを走っているかなどもさっぱりわからない。一つ面白かったのは、速度が電光掲示板に常に表示されており、現在が何キロで走っているかが分かった点。しかし香港西九龍まで僅か15分、最高速度まで加速できるわけもなく、せいぜい150km/h止まりであった。この車両、理論上は380km/hまで出せるらしいが、実際の最高運転速度は350km/h。十分速いけどね
香港西九龍駅
気付けば香港西九龍駅に着いていた。中国本土は簡体字に対し、香港は繁体字を用いるため、少し文字表記が異なり面白い。
お気付きになられただろうか?
プラットホームの訳、中国本土だと「站台」だが、香港だと「月台」という案内。ちなみに台湾でも月台だった。
気付かなかった方は、少し前の画像を見返してもらうと良いだろう。
にしても、あっという間に到着してしまった。そして全区間トンネルなので、香港に着いた感がマジでなかった。
イミグレ(中国側)
てっきり私は福田駅に出国カウンターでもあるかと思ったが、なかった。結果、香港西九龍駅で香港と中国の出入境審査が同時に行われるようで、香港西九龍に中国辺検があった。中国国内の各駅にイミグレを設置するより、香港だけ入出国手続きが必要なのだから、香港側にイミグレを置いておくのが効率が良いか。そりゃそうか。つまり、香港西九龍の駅構内の一部は中国本土の法律が適応されることとなる。中国入出国あるあるの健康チェックを提出し、続いて中国辺検のイミグレに並ぶ。列は中国公民or外国人で分けられている。出国スタンプには、簡体字で香港西九龍と書かれていた。(ちゃんと順番通り押してくれて嬉しい)
イミグレ(香港側)
続いて香港側のイミグレ。香港民とそうでないかで分けられている。
並ぶ前に、入国カード的なものを書き、列に並ぶ。香港は入国時、レシートのような入国カードを渡されるだけで、スタンプ的概念がないのが残念である。台湾はあるのに。
なんやかんや両イミグレの列は待つわけで、1時間くらいして漸くシャバに出れた。外の景色を見れていなかったので、香港か内心疑っていたが、ここは紛う事なき香港だった。
香港西九龍駅の外に出て駅舎撮影を試みたが、デカすぎて全体の雰囲気がよくわからなかった。先鋭的すぎるデザイン。MTRの九龍駅と柯士甸駅に乗り換え可能。
おわりに
もし事前に中国のビザを持っている人間が、香港西九龍駅から中国本土に入るには、イミグレが改札前にあるため、1時間前には駅に着いていることをおすすめする。
私は同じ都市でウロチョロするより、いろんな都市に行きたい派なので、深圳で一泊、香港で一泊としたが、中国本土に入るにはビザ等が多少厄介。無難に香港内で観光とかする人はそれでもいいかもしれないが、深圳に行くには深圳宝安国際空港(SCX)を使うよりも、陸路で特区旅遊ビザを取った方が安いと思われる(多分)ので、深圳に行きたい人は香港から往復するとよい。日本人は香港にノービザで入れるし。
おわり
頑張って更新ペースあげるよ
香港から中国本土に入境(2023年6月)_香港レポ
どもども。えーてるです。ブログは不定期にきままに上げていきたいのだが、事実確認とかしてたら意外と時間かかっちゃうのよねぇ...
初めての方はどんな人間か知りたければどうぞー
普段は郵便局まわってるよ
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今回は香港と中国本土に行ってきたので軽く入国レポート。日本と違って色々書類がいるからそれもまとめて書いてみるよ
そこだけ見たい人はここをクリックすれば飛べるよ
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日本から2700kmほど離れた土地。
今回香港へ足を運んだ理由、それは...
安かったから。
簡単な話。私は常に金がない人なのに、出かけてしまう病気持ち。そんな私にとっては安さこそ全てなのだ。
香港は中国の特別自治区という扱いではあるものの、1997年までイギリスの植民地であったため、文化的には中国本土とは大きく異なる。なので、厳密には中華人民共和国だが、実質別の国だと考えてよい。政治的お話は複雑かつ私はあまり知らないので割愛する。
面積は札幌市くらい。札幌は人口200万に対し、香港は740万。ワオ。大都会である。
人が住んでいる地域も集中的で、かなりの人口密度。公用語は中国語と英語。道路も左側通行、とイギリスの植民地時代の名残を残している。
さほど大きくないし、火曜日には大学の授業もあるので、土曜-月曜で行くことを決定。
4月下旬に航空券を抑えた。往復5万いかないくらい。コロナ禍以前の海外をあまり知らないので、十分安いと思っている。海外旅行は初心者のため、あまり勝手を知らない。
私は日本だと郵便局を回ることしかしていないため、観光は苦手だ。とりあえずテキトーに目星をつけて行くことにした。
そして香港の場所を地図で見てみると、香港の上にも何やら大都市があるではないか。
広東省深圳市。しんせん、と読む。日本では漢字が難しいためか「深セン」という表記がメジャー。中国本土の四大都市と称される一線都市「北上広深」の一つであり、人口は1700万人。数十年前までは数万人の漁村だった場所が、ここ数十年で大都会へと急成長。昔は田舎だったなど、俄には信じがたい。
今回は2泊3日だが、今までの私の海外旅行は、一ヶ所にとどまらず、移動をしながらさまざまな都市を訪れるスタイルをしてきたため、今回もせっかくなら深圳に行ってみよう、となった。
調べるとしっかり国境じみたイミグレはあるようで。そして2023年6月現在、中国は15日間の査証免除を停止中。つまりビザ申請をしなければ入国出来ないということが発覚。申請は大使館だかなんだかに行く必要もあり、数日かかる。私は下調べをろくにせず、行く1週間前あたりから調べ始めるため、既に手遅れ。これは深圳に行くことは難しそうだな...と半ば諦めていたのだが!
「特区旅遊ビザ」なるワードを耳にした。これは5日間のみの有効、行動範囲は深圳市内に限るが、香港から入国する際に予約なしで当日発給できるビザのようだった。
これだ!となり、入国レポートをいくつか参照。初の試みはもちろん不安も残るのだが、同時にワクワクも兼ね備えているのである。わからないポイントはあとは現地で確かめるのみ!
来たる出国の日
2023-06-10 深夜、終電近い列車で羽田国際空港第3ターミナルへ向かった。普段出国は成田が多く、羽田の3タミは初めてだったが、“国際線”限定なので、京急の駅で降りた瞬間から海外旅行は始まっている気持ちになっていた。ゾロゾロ列車から降りてきたコイツら全員海外行くんやな...!となった。
発着便の一覧を見ると海外行くんやなぁ...となる。案内表示でワクワク止まらんですよ。
ターミナルは成田の方が大きい気はした。私が乗るのは0220発の飛行機なので、まだ時間には余裕があり、かつ他の便も少ない時間。そして空いてる店も少ないため、直ぐにチェックインして制限エリアへ。保安検査場は混まずにすんなり通過できた。
台湾に4月行った以来、2か月ぶりの出国。HANEDA A.Pのスタンプは初めて押される。(台湾もブログ書いても良いな...)
ゲート近くの椅子に備え付けられているUSBポートでスマホとモバブの充電乞食をし、羽田空港第3ターミナルから香港国際空港に向け出発。香港エクスプレスという会社を利用した。
深夜2時ということもあり眠すぎて即就寝。
知らない景色
目が覚めると日が昇っており、スマホを見ると7時手前。6時着予定の便だが、日本と香港の間には1時間の時差が存在するため、決して飛行機の遅延ではない。到着し、あちらの国の電波が入るとスマホが香港仕様になり、時刻も合うはずだ。
スマホプランがahamoなので、海外でのネット通信はデータローミングをオンにするだけで使用可能に。追加料金もかからないの最強。Wi-Fiやsimカードをいちいち買わずに済む。マイナーな国でなければ基本使えるみたいなので、海外行くオタクはahamoを強くおすすめする。
ここでトラブル発生。機内で脱いでいたサンダルを履こうとしたら、なんとアウトバングル(前の輪っか)がソール(本体)から外れているではないか。インステップバンド(後ろの輪っか)はまだ繋がっていたため、足を引きずりながら香港上陸。わざわざサンダルの各名称を調べながら説明したが、これじゃあまるで意識高い系の横文字言いまくる人みたいでなんかやだな...
しかしまあ、足を引き摺りながら動かざるを得なくなり、見苦しい歩き方極まりない。これは後でどこかで靴を買わねばならなくなった。
看板を見て気づいたが、澳門に行けるフェリーもあるのね。澳門もまたの機会に行ってみたい。あそこは元々ポルトガルの植民地だったはずだ。今は香港から50kmにも及ぶ橋で繋がってるようだが。中国の技術はハンパねえ。
MTR
特区旅遊ビザ取得のため、なるべく早く列車に乗りたかったが、案の定の混雑でイミグレ、税関を抜けたのは6時半過ぎ。駅を探していたら、急に出現した。ターミナルの中にそのまま駅があって驚いた。
香港では買っておいて損はない交通系ICカード的な八達通(オクトパスカード)を窓口で購入。200HKD(≒4000円)からの発売で、デポジット50HKDの150HKDチャージされた状態。そのまま乗車。改札がなく入場記録付けなくて良いの?とは思ったのだが、次の列車を待つのは勿体無いので飛び乗ってしまった。
香港は基本MTRがメインの鉄道となる。
Mass Transit Railwayの略らしい。
香港、ディズニーランドあるんやね。誰かと香港旅行来ないと絶対行かない気がする(笑)
機場快速は、並走するMTR東涌線の駅に殆ど止まらず、文字通り快速列車。終点の香港まで乗ったら高額だと悟り、空港の次の駅の青衣で乗り換え。改札を出ざるを得なかったので金は差し引かれた(入場記録的なものなかったけど普通に出れた)が、そこからMTRで青衣(東涌線)→南昌(屯馬線)→紅磡(東鉄線)と乗り継ぎ、中国本土との境に位置する羅湖駅へ。
羅湖駅
Lo Wu(ローウー)に到着。国境のための駅という感じ。
本当はもう一つの東鉄線の終点、落馬州駅まで行って、福田口岸から入国の方が混雑を避けれそうだと思っていたが、列車内で爆睡していた結果、羅湖に着いてしまった。まあなんとかなるだろう。
香港-深圳間で1番メジャーな国境だと思われる。出口には深圳の文字が。いよいよ国境だ。ドキドキする。同じ中国ではあるものの、イギリス植民地時代の名残で今も出入境管理が行われている。
陸路国境は初。
入出国にあたって
ここで、中国本土に入国するにあたって大事なものをまとめておこう。
入れておいた方が良いアプリ
- 微信(WeChat)
中国版line的なやつ。税関の健康診断カード的なものを記入する際、このアプリを用いてqrコードで読み取るため、インストールしてないと不便が見込まれる
- アリペイ(支付宝)
中国で現金はあまり使えない。基本キャッシュレス決済のため、入れておこう。日本人が使うとなるとTourCardというヤツ。以前はTourPassというものだったが、システムが変わって使えなくなったようだ。使えるようにする申請は少し時間がかかるので出発前に済まそう。詳しくは他のサイトを見ると良いだろう。
- Baidu MAP(百度地図)
中国本土では、中国政府から情報規制がされており、vpn等を噛ませて通信をしないと、Line、Twitter、Google等は使えない。だからこそ中国では独自の各種サービスが普及している。Google MAPのストリートビューが中国本土内に殆どないのもこの影響が大きいだろう。
ブラウザで検索をかける時も、Baidu(百度)を使用しないと使えない。尤も、日本語の記事は皆無で、中国語がわからない私にとってはあまり使えたものではなかった。
不安な人は、VPNについても調べておこう。
これらがあれば不自由はしないだろう。キャッシュレス決済が主流だが、もしもの際に中国元も持っておくと良い。
今回私は中国本土の深圳市に行ったので、深圳メトロのアプリも入れておいた。ちなみに香港MTRのアプリもあったのでおすすめ。
入出国
次に、香港を出て中国本土に入った流れを説明しよう。
まず羅湖駅の改札を出る。
次に香港の出国ゲートの出場。Visitorの列は右寄りにある。
パスポートを見て何だか険しそうな顔をされたが、無事通過。ハラハラさせるな。
次に中国側に入るために、健康状況申告書をWeb上で提出する。辺りにWeChatのqrがあるので、それを読み取ると記入欄が出てくる。日本語訳もあったので安心だ。
滞在場所はGuangdong(広東)のShenzhen(深圳)だ。中国語は英語表記で書かれてもわかりにくい。
集中線のような形をしたqrコードだが、しっかり読み取れて面白い。四角だけじゃないんだな。
健康状況申告書提出後、スマホにqrコードが表示される。それをゲートの機械で読ませればOK。次のステップへ進める。
壁の柱には中国語で深圳歓迎と書かれているね。
ここで漸く中国側のイミグレとご対面。しかし私は現在ビザ(査証)を未所持。中国は査証免除措置を停止しているため、ビザがないと入国拒否されてしまう。
そこで当日予約なしでビザが発券できるという場所へ。
私が着いたのは8時半。しかし既に多くの人が特区旅遊ビザを確保しようと並んでいた。
勝手を知らなかったため、私は焦って書類を書きながら並んだが、別に今のうちに書類を書く必要はない。何故なら整理券を取ってから待ち時間が発生するからだ。一番前でない限りは、まだ書かなくて良いだろう。とりあえず並んどけ。
書類について。
書類はカウンターに置かれている紙の記入
それと香港に着いた際に入国印の代わりに貰える小さな紙(入国カード)
そして写真。
写真は手前にある写真機で一枚撮ればOK。無料で撮れるから安心したまえ。写真機には日本語がなかったのでEnglishで対応した。レシートのようなペラ紙で自分の写真がモノクロで出てくる。ビザで使用する写真だが、完成時にはしっかりカラーで印刷される。
9時になりビザオフィスオープン。全く、もっと朝早くからやっとけっつーの!
下調べしたところによると、これが結構待つらしいのだ。15番だから15組目(1人)のようだ。1人じゃない人も居ると思うし、数時間が並ぶのを覚悟してテキトーに時間を潰す。
悲報:待ち時間にサンダル、死す。
入国したら即靴を買うミッションとなった。やや不安だが...
1時間経過。漸く一番最初から並んでいた人のビザが発給された。そして私の整理券番号、015も呼ばれた。書類を揃えて提出。そして料金は168元(3300円ほど)をカードで支払い、発給を再度待つ。どうやら国籍によって支払う額は変わるらしいが、詳しくは不明。
発給は001-007を一気に、008-014も一気に来た。私はその次なので残念ながらもう少し待つ羽目に。
さらに待って11時頃、漸く発給!!
念のため番号云々は色々隠しておく。
特区旅遊ビザ確保!!パスポートの1ページを丸々使用して貼られていた。これで最大5日間、深圳市内のみに立ち入ることが許された。正直もっとかかると思ってたので、まあ良かった。
ちなみにウワサによると、この特区旅遊ビザは1日50枚ほどしか出さないらしいので、早く行くに越したことはないだろう。めっちゃ並ぶし。
落馬州のビザオフィスの方が空いているとも聞く。
これでいよいよ中国本土へ...と思いきやイミグレで死ぬほど待った。中国辺検サン、もっと一人一人にかける時間短くして欲しいわよ。とは言えど、国境なので、変な人を入れさせないためにも慎重になっているのだろうし致し方ないが。
どこで泊まりますかとかそういう紙書いて、外国人の列並んでスマホいじりながら待ってたけど、イミグレ通過するだけで1時間かかったぞオイ。ちなみに既に電波は中国のやつ拾ってた。VPN回線使っていつも通りTwitterもGoogleもlineも見れて安堵。ありがとう大学のVPN。
漸く入国~~
中国本土はしっかり入出国スタンプあるようで。普通左から押してくものだと思うのだけど、なぜか右側に押された。たまに意味わかんない順番で印押す人居るよね~...
ようやく
時刻は12時20分、漸く陽の光を浴びた。中国本土に初めての入国!!
シャバの空気は暑い!!!!暑すぎる。日焼けする。早く中入りたい。
次回は深圳市街ぶらつきレポート。
面白そうだから来ただけで、全然行くとこ決めてなかったから本当にテキトー。
人口一人の島に行った話⑤ ~六島❷~
どもども。「えーてる」です。
私は普段旅行(要出典)を数多くしており、ブログになるネタは腐るほど持ち合わせているのだが、なかなか食指が動かず現在に至る。今回、ブログを書こうと思ったのは、かなりレアな体験であったこと、Twitterで記述するにはとても収まりきらないと感じたためである。拙い文章になるとは思うが、見てくれたら幸いである。
ちなみにTwitterは下記のアカウントである。Twitterから見に来てくれた方が殆どだとは思うが一応。
さて本題へ。今回ブログとして書くのは、長崎県は五島列島に浮かぶ小さな島「六島(むしま)」に訪問した際のレポートである。
この回では、正真正銘の人口一人の島、六島での探索が主となる。
前回のブログ、人口一人の島に行った話④ ~六島~の続きである。
まだ見てない方はこちら
最初から見たい方はこちら
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探索
まずは近くにある神社へ
若宮神社
神額を見るに、若宮神社という名前であった。入口が二つあるはずなのだが、もう一つの入口は自然に還っており行き止まりのような雰囲気であった。
社殿はまだ形を保っているが、とにかく道中、草木が生え散らかしており、動くのも困難であった。
手入れされなくなると、人工物も自然の力によって覆われ、外界から観測することも難しくなってしまうのだ。
これがもう一つの入り口。鳥居の貫の部分(2本目の棒)、神額(看板的なやつ)も落っこちていた。虚しい...
教員住宅
神社の傍らに、社殿とは異なる、ちょっとした住居のような建物を発見。どうやら六島分校の職員が暮らしていた教員住宅だったようであった。草木をかき分け、恐る恐る探索。
ここまで来るとただの廃墟探訪になってしまうが、カビついた空気で居心地は良いものではなかった。床も気が腐り抜けている箇所も見られた。
児童や一般と書かれたダンボールがあり、おそらくこれは教科書等だったと思われる。教員の住宅だったと偲ばせる備品だ。
六島郷敬老会という看板。敬老会開催のたびに用意していたものを、この部屋に保管していたのだろうか。かつてはもっと人がいたんだろうというものを感じた。
1996年の少年サンデーも発見。コナンの単行本、11巻が発売中という文字。まるでタイムカプセルを開けたかのようだ。私はまだ生まれていない年だが(笑)
無住になったのはいつだか知らないが、30年は経っていないようであった。
続いて集落を観察。
集落の様子
無惨にも、ありとあらゆる場所が廃墟と化している。廃村、という言葉が相応しいだろう。いつから放置されているかわからない建物。既に倒壊しているものもあった。ゆくゆくは多くの建物が倒れていることだろう。
しかしライフラインである水道はしっかりと整備されていた。Kさんが自分でやっているのだろうか?困ったことがあっても船に乗らないと他の人間は来れない。島でひとりぼっちというのは、山奥でひとりぼっちよりも大変そうである。そしてたった一人のために置かれている選挙ポスター。これには驚いた。役場のない離島での投票は、期日前投票。船に投票箱を積んで、島内で行うケースが多いようだが、一人のためにもそのような方式をとっているのだろうか?
観音堂
集落から獣道を上ると、観音様が祭られている祠があった。
存在を知らなければまず入ることはないであろう道。この花は造花?ではないとしたらKさんがお供えしているのだろうか。
さらに奥まで道が続いていたが、山頂まで繋がっているのだろうか?もちろん誰も歩いていないためかなり草木に覆われていた。
自分がどこをどう歩いているかも分からなくなってしまう。地図に載っていない道も多々。そしてそれらは自然に帰りつつある。
六島分校
続いては、2001年に休校、そして2017年に正式に廃校となった六島分校へ。休校から既に20年以上経っており、廃校になったのは最近といえど、長らく時は止まっているだろう。
学校のそばにも教員住宅は存在していたようだ。手前に見える柵、これはグラウンドを牧場として使用していたため、比較的整備されており草は生え散らかしていない。しかし、教員住宅内は動物のフンが多く足の踏み場がなかった。神社近くの教員住宅と似たような構造ではあったが、目ぼしいものは見当たらず。
右に見えるは体育館、左が校舎だ。二階建てでかなり大きめ。1974(s49)年に建てられたもののようだ。体育館は1979(s54)年。
体育館
まずは体育館へ。既に扉はオープン。そして動物のフンもある。察した。
お邪魔しまーす
うわっ、カビ臭い。下駄箱に靴を脱いで上履きに履き替える...などする訳もなく、体育館の中へ。
いや。いやいやいや。凄すぎません?
六島には申し訳ないけど、「廃墟としての完成度」が非常に高い。なんでこう全部やりっぱなしなのか?次もまた遊びに来るからこのままでいいや!って感じで放置しておいたら、その次が無くなってしまった、そんな感じだろうか。
バレーボールのネットもかかりっぱなし、卓球台出しっぱなし、バトミントンのラケット、ゼッケンもそのまま落ちている。廃墟オタクにはあんま知られたくないスポットだったりして。
校舎
体育館を出て教室を回る。立て付けの悪い部屋も何個かあったが、殆どの部屋には入れただろうか。
撮った写真が多すぎるので、ダイジェスト的な形で写真を貼っておこう。
職員室
あらゆる資料が置き去り。いいのか。てっきり蛻の殻だと思っていたため驚いた。自分が教員関係の仕事をしていたら、資料を読み込んでいたに違いない。
机に「希望」と書かれたノートとペンが置かれていて雰囲気良すぎる。決して自演ではなく、この状態で置かれていたのだ。
黒板もそのまま。見るに、卒業生が幾度なく訪問している様子が窺える。(h)24年だから2012年だろうか。新めて、は改めての誤字だろうか?定期的に綺麗にしに来ていたのだろうか。現在は動物のフンだらけで足の踏み場が...
すばらしい 分校よ ありがとう
ふるさとは 遠きにありて 想ふもの
そして悲しく 想ふもの
六島分校 今も昔も 変わらず このままで
泣いちゃうってこんなの。全く関係ない部外者だけどしんみり来た。良すぎるだろ。エモい(語彙力の低下)
教室
教室内には机や椅子の姿はなく、壁際にある棚に本が置き去りになっている程度。そして動物のフン。
正面の黒板に目をやると、
ふるさとの 二十四の瞳よ
ここで育む 六島分校
荒廃した 学舎にも 心は残る
...これ以上私の涙腺を刺激させないでくれ!!良すぎるのよ。さては文才が潜んでいたな?
ちょこちょこまた来ました報告が黒板に書かれている。母校がなくなるってのは残念だが、建物が残ってるだけでも嬉しいもんだろうね。
廊下はこんな感じ。動物のフンだらけな点を除いては綺麗である。
理科室
続いて理科室。
理科室特有の机、そして見覚えのある実験機器達。
実像虚像見るやつとか、電流電圧計とか懐かしいね。もう使い方覚えてないデスワ。
これは音楽室...ではなく、廊下に落ちていたアコーディオンだった何か。そして給食室は中に入れそうで入れず。
音楽室
皆さんは自分の母校の校歌を覚えているだろうか?
私は断片的にしか覚えていない。小学校時代のは意外と覚えているが、ちっとも歌わなかった高校時代の校歌は全然記憶にない。というかなんだこの黒板のアニマルは。絶妙に不気味である。
まだまだ使えそうな雰囲気はあるものの、床が動物のフンだらけの空間に置いてある楽器は触りたくもならない...
廊下にて。蛇口はもちろん出ないだろう。
落ちている缶は下手に刺激したら爆発とかしそうで触らないに越したことはない。
抽象化された六島の地図。こう見るとかなり港近辺で集落が完結しており、南西部以外は何もない。
図書室
小さな田舎の学校の図書室というのは、せいぜいこんなものなのか。教室の半分以下の部屋の両側にしか本がない。本が好きな生徒であれば全部読み切れそうな勢いだ。知らんけど。
教具室
あまり私には馴染みのなかった言葉だが、どうやら文字通り授業で使う道具等を置いておく場所のようだ。
如何だっただろうか。六島分校は使用されなくなってから20年以上経つが、訪問者が滅多にいないためか、窓ガラス等の破損も殆ど見られず、どこも状態は良いものであった。黒板の文字がなんとも哀愁を漂わせる、へき地等級5級の学校なのであった。
なぜか学校のホームページが現代まで生きながらえているのをインターネットの海で発見したので載せておく。時が20年前で止まっているが。
墓地
学校を後にし、近辺の探索へ。
六島で亡くなった方のお墓がある場所は、集落から少し離れた南西部にある。小値賀町の持っている資料には、墓の地図記号が記載されていたようで、同行者のななしさんが見に行きたいとのことで捜索。
集落を外れると、長らく誰も往来していない道だからか、道路脇からの草木の主張が激しい。地図に載らない小道を曲がってお墓に行けるが、それより奥の道は藪に閉ざされていた。
道中、猪を捕らえる檻が設置されていた。しかしながら捕らえられたとしても、Kさんがわざわざ確認して猟師を島に呼ぶというのは恐ろしく手間がかかる。離島の獣害は六島に始まったことではなく、間伏郷編でも記述したが上五島、日本全国の離島で起きている。
草木に覆われて本体を肉眼で捉えるのがやや困難だが、しっかりお墓はそこに鎮座していた。Kさんと同じ苗字のお墓があった。おそらく親族だろう。
別れの時
一通り探索を終え、六島地区公民館へ戻ってきた。この島とのお別れの時も近づいてきた。
またしばらくKさんはひとりぼっちなのだろう、と思いきや、交流のあった方が数日後に来るとかなんとか。インターネットがあるから一人じゃない。共言っていたし、ご年齢の割にはネットを使いこなしている方のようだ。
せっかくなので記念撮影をし、帰りは船長が現港の方に付けるというのでそちらへ移動。
とても港へ行く道だとは考えにくい...
でもこんな道でもKさんは平気で軽トラを走らせて港まで移動するのだ。
現港
あらまあ。結構広いじゃないの。
旧港から上陸したため、現港をこの時に初めて目の当たりにした。思ったより開けていて驚いた。
定期船発着場まではもう少し右側の道を進む。
この島でヤギを放し飼いしていると聞いていたのだが、さっぱり居ないと思いきや、こんなところに居た。そこは緑色の大地だけど草は生えてないし食べれないぞ~
こんな一人しかいない島ではあるものの、ギリギリ定期船も来る。行く時は事前にKさんに連絡が行くらしい。迷子、遭難した例もあるため、Kさんは二人以上で来ることをお願いしていた。
船長の船を待っていると、な、な、なんと、
あ~~~っ!!
お客様お客様お客様!!困ります!!あーっ!!!お客様!!困ります!!あーっ!!!困ります!!あーっ!!!!困ります!お客様!!困ります!!あーっ!!!あーっおお客様!!
ヤギが桟橋で放尿開始!!なんということでしょう。思わず一同苦笑い。
よく見たらなんかモノっぽいものも見えてるし。
こうしてヤギの小便が六島最後の記憶となった...(笑)
帰り道、船長の隣、特等席でおしゃべりしながら上五島、津和崎へ戻る。
魚群探知機というやつだろうか。陸のgpsとは違い、水深の等高線も書かれている。そして航行速度はノットで表している。1ノットは1時間で1海里(1852m)進むという単位。今回は16.4なので、1.852を掛けてあげるとおおよそ時速30kmということになる。小学生のさんすうの時間でした。
舟森集落跡
途中船長が野崎島に接近し、減速。何があるのかと思いきや、舟森という野崎島の南端にあった集落の跡だった。画質が粗いが、十字架があるのが見えるだろうか?野崎の集落から4km以上、マトモな道路なども無い中、かつて人力のみで切り拓いた土地のようで、先人達には畏敬の念を抱く。
ものの数十分であっという間に津和崎港に戻ってきてしまった。
戻ると、唐突に船長の知り合いがニコニコしながらウェットスーツ姿で登場。何かと思えば、デカい伊勢海老をゲッツしたのこと。見せてもらった。
これは大きい。指で👌サインもしてご満悦の様子。
ここで、長崎県の漁業調整規則と漁業法による規制についてのホームページを閲覧。
これは魚貝類等の水産資源を守り、漁業秩序を維持するための規制等というもので下記の生物の禁漁期がそれぞれ記されている。
伊勢海老の欄を確認すると...
5月21日から8月20日までとの記載が。そしてこの日はちょうど5月21日。禁漁期初日である。アウトーー!!全然👌サインじゃないよ!!アウトだよ!!
まあ、獲る瞬間を見たわけではないし、こういうのは現行犯じゃないとわからないから、セーフかな?ウェットスーツ濡れてたけど。
そうしているうちに、有川から六島に同行した人、船長ともお別れの時間。
しかしながら、ご飯行きましょう!という話になり数時間後に有川で再会を交わすのはまた別のお話である...
酒を飲むと運転できなくなるので、運転代行か宿に泊まるかの二択になるわけだが、船長は宿泊を選択。そして船長が有川で飲んだ後いつも泊まる宿と、私の泊まる宿が一緒だった(笑)
実に有意義な一日であった。
六島まとめ
今回、私なりに六島で探索した箇所をまとめた。しかし道が地図に記載されていない場所も多く、あくまでおおよその場所として参考にして頂ければ幸いである。尤も、参考にする訪問者が今後現れるかは定かではないが...
廃墟オタクにとっては六島分校は訪問しがいがあると思う。しかし先述の通り、遭難、迷子等でKさんの迷惑にならないよう、複数人での来島でよろしく頼む。(複数人で来い、ってオタクが一番困るやつだよね、とは思いつつ)
場所は大雑把。❌の箇所より先は藪が濃くよくわからないのと、猪も居るので深追いは禁物である。
今回多くは触れなかった、Kさんのインタビューについては、ななしさんの六島まとめツイート、ならびにpdfを参照していただけると、より六島についての歴史やKさんの生い立ち等がわかることだろう。私よりも何倍もわかりやすく事細かに書かれている。改めてすごい方だと感じた。そらフォロワー9万人もいるよね。
下記にURLとpdfを載せておく。
スレッドにします。
— R774@まとめ屋 (@kendou774) June 11, 2023
『小さな火山島』その島は時間厳守の島として知られ、六島憲法とも呼ばれる島の掟のもと、勤勉で団結力のある島だった。今、人口減少により島の人口は1人となったが、故郷の島の再生を目指し、島おこしに励む姿がある。小さな火山島の今を記録するために、『六島』を訪れてみた。 pic.twitter.com/b6BbUgZlT8
これでひとまず人口一人の島に行った話は終了とする。実は謎のヨットマンなる人物も定期的に六島に来るようだが、今回お会いはできていない。
この後も少し中通島内で探索や翌日の行動等があるのだが、今回の趣旨から外れてしまうため、一旦おしまいとする。他のレポートも書きたいし?
今回、一通のツイートから始まったこの旅であったが、非常に貴重な体験をすることができた。草刈りボランティアは今後も開催するようなので、気になった方は是非とも参加してもらいたい。ななしさんが期日が近づいたらツイートしてくれることだろう。分校にも行けるチャンスである。
今回訪問するにあたって、車に乗せてくれて、色々中通島内での寄り道、そして道具などもわざわざ用意してくれたななしさんには、大変頭が上がらない。また船長や地元の方、六島のKさんには感謝申し上げる。何もないかもしれないが、また機会があれば来島したいところだ。今度は何かしらの餞別を持っていかねば。
ではまたどこか別の記事でお会いしましょう。
えーてる
人口一人の島に行った話④ ~六島~
どもども。「えーてる」です。
私は普段旅行(要出典)を数多くしており、ブログになるネタは腐るほど持ち合わせているのだが、なかなか食指が動かず現在に至る。今回、ブログを書こうと思ったのは、かなりレアな体験であったこと、Twitterで記述するにはとても収まりきらないと感じたためである。拙い文章になるとは思うが、見てくれたら幸いである。
ちなみにTwitterは下記のアカウントである。Twitterから見に来てくれた方が殆どだとは思うが一応。
さて本題へ。今回ブログとして書くのは、長崎県は五島列島に浮かぶ小さな島「六島(むしま)」に訪問した際のレポートである。
この回では、ようやく書きたかった六島について記述しようと思う。正真正銘の人口一人の島。(2023年現在)
前回のブログ、人口一人の島に行った話③ ~若松島、間伏郷~の続き。
まだ見てない方はこちら
最初から見たい方はこちら
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六島
ようやく今回ブログを立ち上げたきっかけである、六島上陸レポがかける。まったく、長かったぞ...
六島と調べると、岡山県笠岡市の六島が先に出てくるが、違う違う、そうじゃな~い。
鈴木雅之も歌いながら否定しにかかることだろう。
あちらは笠岡諸島の南にある島。岡山県最南端らしい。郵便局はないので行ったこともなければ現状行く予定も無いが、こちらの六島よりかは人口も居ることだろう。(パッと調べたら70人程度)
話が逸れてしまったが、今回行った六島は長崎県北松浦郡小値賀町六島郷、そう、六島は新上五島町ではなく、小値賀町なのである。
小値賀町は五島列島北部の小値賀島、そして周辺の島々を行政区域とする町で、人口は2100人程度。
私は小値賀島に上陸したことはなく、郵便局も未訪問。いずれ行くことになるとは思うが、今回六島に上陸したことにより、「小値賀町には行ったことがあるのに、小値賀島に行ったことがない人」というトリッキーな事例となった。津和崎から海上タクシーで野崎島の教会を見に行った観光客で、小値賀島には行ったことが無い人がもし居たら、この実績は解除できる。
誰でも編集ができるため参考文献にはしてはいけない、でお馴染みのWikipediaサンによると、世帯数9、人口22(2010年10月1日現在)と書かれているが、2023年現在はただ一人。
六島へは、一応定期便が存在しており、小値賀町のはまゆうというフェリーが、一日二回、8時前と15時前にそれぞれ寄港する。
観光資源がないため、観光客はまず来ない。物好きが行くこともあるようだが、探検のし過ぎで船に乗り遅れたり、迷子になったりと、手を焼かせるケースが何回かあったようで、もし訪問する際は二人以上で行け、とのこと。
別名「時間厳守の島」
この島で遅刻等は御法度のようだ。
この背景には明治時代末期、島民の一人が、予定していた船の出発時刻に遅れ、その間に潮の流れが変わり、船が転覆してしまったという事故が起こって以来、六島では時間厳守、遅刻など言語道断という考えが根付いた。それどころか集合時間の遥か前に集まってしまう、というイキスギエピソードもあるようだ。
国勢調査によると、六島の人口は、全盛期は250人ほどいたようだったが、昭和末期の台風で多くの家屋が倒壊、人がグッと減ったという。2000年は50人、2010年は22人、2018年以降はずっと1人のようだ。
これは余談だが、六島の南にある野崎島という島は、無住島ではあるものの、教会という観光名所がある故、教会の案内人もとい管理人として駐在している人が一人おり、書類上では一世帯一人の島、となっている。というのも、定期便を運航させるために、一人置いているようだ。完全な無人島になってしまうと、定期便が運航できなくなってしまう大人の事情があるらしい。六島は観光地がない故、唯一の島民が何らかの理由でいなくなってしまった場合、定期便は運航されず、完全な無人島と化し、自然に還っていく一途を辿ることだろう。
いざ、六島
中通島の北端の小さな港町、津和崎郷に到着。
100人程度のそう多くない集落、学校も今や閉校しているが、新上五島町の最北端ということで、灯台もある故、観光客の往来はそれなりにあるかもしれない。
津和崎港に10時集合だったため、10分ほど前に着き、他の参加者を待つことに。このブログの最初の話①で記述はしているが、この島へ行く理由は一応草刈りボランティアなのである。
サンダルだった私は運動靴に履き替え、汚れても良い服に変更。同行者のななしさんに色々用意して頂いて大変ありがたいと同時にちっとも用意してなくてごめんなさいという気持ちだ。
集まった島へ行くメンバーは、私、ななしさん、津和崎丸の船長、そして中通島に住む島民の方の4名。もっと集まるかと思ったが、まあなんとかなるだろう。顔合わせをし、いざ、人口一人の島へ!
普段は海上タクシー等で使用しているこの船。定期便で存在しない津和崎港⇔野崎島間で観光客を乗せたりしている様子。小値賀島に行くこともあるようだ。
この形って
20分ほど船に揺られていると、目的の島が見えてきた。
突然だが問題。
この島の形、何かに似ていないだろうか?
お分かりいただけただろうか?
そう、鯨である。左が頭で右が尻尾のように見える。故に、六島は時間厳守の島だけでなく、「くじら島」とも呼ばれていたようであった。
上陸
正真正銘人口一人の島、六島に上陸。
軽トラでこの島に一人で住んでいる方(Kさんとする)が迎えにきてくれた。鎌や草刈り機を積んで、先に行かれた。
どうやらここは定期便が着く船着き場とは別の場所であった。どうやらかつては定期便がつく港らしい。
雰囲気でわかった。廃村一歩手前。あらゆる場所が「放置」されていると感じた。ここから集落は見えないが、奥に見える坂を上がればすぐに集落ではある。
六島郷水産倉庫と書かれた建物。
一人しかいなければ手入れされることもなく、崩壊気味であった。
港から坂を登ること200mほど、すぐに公民館に到着。
唯一の島民のKさんはここに住んでいるわけでは無いが、人を招き入れるにはここが広いので、主にここを拠点として我々は動いた。
まずはお昼前まで目的の草刈りボランティアを行った。
Kさんの家の向かいにあるお宅(既に無住)の庭の草が、Kさん宅の塀をも破壊する勢いで伸びてしまうらしく、それをまずは切除してもらいたい、とのことだった。
こう見ると、チェーンソーとかを持ってきたらよかったなぁっと思いつつ、携えていた鎌や鋸で切除する作業を開始した。
自分の努力が明確に直ぐに見えて来る作業は好きだ。代わりになかなか見えてこない長期的な勉強は苦手。受験勉強とか受験勉強とかね。
1時間ほど作業を進めてお昼休憩。
かなり葉っぱはなくなったと思われる。成果が出ただろうか?その場凌ぎではあるかもしれないが、これでしばらくKさん宅に草木が伸びることはないだろう。
家よりも緑の主張が激しい。これはしばらく放置したら道路にも侵食して来るだろう。
変わった石
公民館まで戻る道中で少し寄り道。
唐突に庭に案内された。既に無住の家だが、何やら石がある。
一見何の変哲もないただの石だが、叩くとなんと、金属のような音がする。
私はボーちゃんではないので、何という名前の石かは分かりかねるが、カンカン鳴っていた。
これについて、六島分校のサイトの一角、六島の名物にこう記述されていた。
チンチン石
小金丸光輝くんの家には,チンチン石という石があります。なぜチンチン石と名付けられたかというと,石をたたいたら「チンチン」という金属のような音がするからです。チンチン石は,光輝君のおじいさんが宇久に行ったとき,「珍しい石だ」と思って持ってきたそうです。今も光輝君の家にあるチンチン石は,六島に遊びに来た人たちが珍しい石だといって必ずたたいて帰っていきます。とっても不思議な石です。隕石ではないかという説もあります。
ネーミングは擬音からチンチン岩という名前で六島では親しまれていたようだ。決して卑猥な由来ではない。チンチン電車と言うだろう?あれと同じなのだろう。
これを見るに、つまりは鉄とニッケルの合金の隕鉄のようだ。石のように見えたがこれは金属なのだろう。というか全世界から閲覧可能なインターネットのサイト上に、個人名フルで出しちゃうのね...
今や閉校してサイトも当時のまま何も変わっていないからどうしようもないが...
果実
幼少期、皆さんはそこらへんに生えている植物を口にしたことはあるだろうか?
私は割と都会っ子かつ不衛生なものが苦手(泥遊びとかね)だったので経験ないのだが、木に生っているものが気になった。
クワの実というもの。恐る恐る口にしたら、味の薄いブルーベリーみたいな味だった。別名マルベリーというみたいだし、似たようなものか。手がめちゃくちゃ紫になってしまった。
お昼
さあさあ、飯だ飯!
とは言えど事前に中通島のローソンで調達したおにぎりとパン程度。飯が無かったら無いでも全然大丈夫な人間なのでね。
しかしながらKさんがご飯を作ってくれていた。なんとまあありがたいこと。
サザエ、イサキ、そしてパセリの天ぷら。
どれも美味であった。正直サザエはなんとなく毛嫌いしていて食べたことがなかったのだが、嫌いではない味だった。食べ方をレクチャーして頂いたが、中身を取るのに苦戦した。
Kさんが人数分の酒を用意していてくれていたが、同行者の上五島に戻ってからの運転等もあるため、自分だけ飲むのも悪いと思い、遠慮しようと思いきや、すすめられたのでお言葉に甘えて飲んでしまった。ビールは苦手意識があったのだが、ここでスーパードライを飲んで、案外ビールイケるやん!となった。歳食った証拠かな...?
少し談笑してから、六島の探索に繰り出した。
更新ペースも考え、探索編は次の記事とする。更新遅すぎて申し訳ない。
週一更新以上を目安にしたいよなぁ...
次のお話はこちら
人口一人の島に行った話③ ~若松島、間伏郷~
どもども。「えーてる」です。
私は普段旅行(要出典)を数多くしており、ブログになるネタは腐るほど持ち合わせているのだが、なかなか食指が動かず現在に至る。今回、ブログを書こうと思ったのは、かなりレアな体験であったこと、Twitterで記述するにはとても収まりきらないと感じたためである。拙い文章になるとは思うが、見てくれたら幸いである。
ちなみにTwitterは下記のアカウントである。Twitterから見に来てくれた方が殆どだとは思うが一応。
さて本題へ。今回ブログとして書くのは、長崎県は五島列島に浮かぶ小さな島「六島(むしま)」に訪問した際のレポートである。
この回では、六島に上陸するまでの中通島内での探索で得られたものについて記述しようと思う。未だに人口一人の島に上陸してなくてごめん。
主に間伏(まぶし)という集落について述べる回となる。
前回のブログ、人口一人の島に行った話②~中通島~の続き。
最初から見たい方はこちら
若松島
実は「中通島内での探索」と言っているが、厳密には中通島+若松島内での探索、が正しい。 そしてメインとなる記述は“間伏郷”という集落となる。
そしてここに来て初出しワードの若松島。
「お前誰やねん!」というツッコミが来ること請け合い、説明しよう。
中通島の南部、岩瀬浦地区と同じ緯度、西の方に大きな橋がある。そしてその西部には、中通島と橋のみで繋がっている島がある。これが若松島だ。
平成の大合併以前は、南松浦郡若松町。現在は新上五島町ではあるが、この島も架橋するまでは船でしか訪れられなかったのである。
若松大橋
中通島と若松島を結ぶ橋の名前だ。同行者であった、ななしさんが若松島のとある集落に訪れたいとのことだったので、渡る運びとなった。
どうやら平成3年(1991年)竣工。架橋して既に30年は超えているが、看板の案内を見るに、若松町は中通島内にも土地を持っていたようだ。
若松瀬戸は、現在でも多くの船が往来する。私が五島列島に訪れた際に乗ってきた船、フェリー太古もここを通るのだ。
橋に精通している人間ではないので詳しいことはわからないが、実に立派な橋だ。全長522mのトラス橋。風光明媚で、近隣の小島もよく見えた。
間伏郷
若松島の真ん中あたりにある間伏(まぶし)という集落へと足を運ばせた。ななしさん(旅の同行者)はどうやら、五島列島最大の島、福江島にも間伏郷という地名があるらしく、気になったようであった。
郵便局もない集落で、かなり小さい。観光客など誰も寄り付かなそうな狭き道を進み、集落を目指した。すれ違った車に、わナンバーは二度見されてしまうだろう。
本当に集落があるのか半信半疑であったが、集落を発見。しかし集落と呼べるほど、人が居る雰囲気ではなかった。
集落の入り口に神社があったので、チラ見しに。
頭子神社
地図にも記載されていた鳥居マーク、神社だ。
少し違和感を感じないだろうか?
そう、鳥居にしては異様に低いのだ。背の高い人であれば、頭をぶつけてしまうほど。
頭をごっつん子する神社、だから頭子神社なのかな?
この答えは、予算の都合らしい。昭和末期時代に到来した台風により、鳥居が倒れ、その後立て直しを行いたかったものの、少し低くなったんだとか。
海が澄んでいて綺麗。人々は、光に反射して我々の目に映る海の色が、緑がかったブルーに近いと「映える」ので、沖縄の方の南の海を好む傾向にあるが、ここも十二分に綺麗である。五島列島の観光は、海よりも教会だと思うので、観光資源が確立できているのはそれはそれでいいことだと思うが。
話が逸れたが、間伏郷の入口に着いたところで、こんな看板を発見。
看板
見にくいので要約すると、五島市福江の浄土宗宗念寺に白濱家の墓があり、ご先祖さまは肥前国松浦の武士団松浦党の志佐氏一族。落人として若松島に定住するようになったようだ。
そしてどうやら、この集落にある曹洞宗神護寺の近くの光石海岸という場所に、白濱一族のお墓があるとのこと。画像が載っているが、どこにあるかは記されていない。
まあ歩いてれば見つけられるかな、と思い集落内を進む。
空き家、更地が多く、寂れてしまっている。その中で神護寺は非常に立派であった。
神護寺
じんごじ、と読むようだ。
明らかに近年建て替えたような綺麗具合。住職の方にお話を聞こうとしてみたが、何やら忙しそうな様子。後に判明したのだが、ここの神護寺は位の高い寺であったようだ。減築改築という形であったようだが、建て替えたのは事実なようだ。
第一村人発見
餅は餅屋というように、その地区のことは、その地区に住んでいる人がよく知っているだろう。我々は庭で洗濯物を干していたお爺さんに接触した。
お爺さんは長らくこの地で暮らしているそう。ご厚意でちょこっと案内をしてくれた。
間伏郷は現在3世帯、7人。人口一桁も居ない限界集落であった。聞けば嘗ては学校もあったとか。俄には信じ難かった。
右の写真は土が掘り返した跡、これはイノシシによるもの。近年、五島列島に限らず地方の自然と密接な集落は、獣害に悩まされている。捕まえる装置を置いておいて、罠にかかったら専門家に連絡、そして確保なり駆除なり。現状一網打尽にする策はなく、こうした罠を至る場所に配置して、罠にかかるのを待つしか無い。猪突猛進と言うように、一般人が真っ向から止めようにも歯が立たないのだ。
お墓
先程述べたこのお墓は、どうやら集落から少し外れた場所にあるようで、お爺さんに案内してもらった。集落の端の道からさらに海沿いに道なき道を進んで発見。海岸が少し湾曲しているため、集落から直接見えることはなく、言われないと気づけないような場所であった。
先に述べたように、白濱家(落人)の墓であった。言われなきゃこの場所など気づけまい。その場所に行くまでの道を少し舗装とかしてもいいのに...
病院
道中に見つけた、立派なお屋敷。でも家っぽくもない不思議な建物があった。これの詳細を聞くと、どうやらかつては集落の診療所であったらしい。この様子からして20年以上前の話であろう。かなり荒廃している。中には入らなかったが、廃墟オタクが好きそうな、医療器具や薬品などが置き去りにでもなっていたりするのだろうか?知る由もないが。
学校跡
先ほど、嘗ては学校があった、と述べた。場所は第一村人から情報を得ていたので、一応向かってみることに。航空写真を眺めても、本当にあったのか俄には信じ難い。
集落の入口の道から坂を登ること数百メートルほど行くと、拓けた場所に出た。
流石に自然に還っているかな?と思いきや、むむ??何やら建物があった形跡があるではないか。
調べたところによると、若松町立間伏小学校という名前で、1997(h9)年に閉校。同じく若松町内にあった他の日島小学校、神部小学校と統合し、若松町立若松中央小学校が開校したようだ。こちらは現在も新上五島町立若松中央小学校として現存(2023年現在)している。
何も建物の基礎の跡がない場所が運動場だと推察できる。基礎がある場所でも真ん中から木が生えてしまっているところが多く、見通しも悪かった。
大きな何らかの建物があったんだろうな、とはなるが、学校だと知らなければただの施設に見えてしまうだろう。「らしさ」は時の流れと共に既に薄れていた。
その中でも分かるものをななしさんが発見。
おそらくこれは手洗い場であろう。運動場で身体を動かしたのち、当時の子どもたちはここで手を洗ったに違いない。パッとわかるものを発見できて良かった。自分でも学校跡だと腑に落ちることが出来た気がする。
他にも、焼却炉や池と言った人工物を確認できた。
1997年に閉校したというのに、メインとなる建物が残骸程度にしか見当たらなかった故、ある程度は解体したのかな?と思える。
今は3世帯、7人しか居ない限界集落にも、学校はあったのだ。
段々畑
だんだんばたけ、いざ漢字で書いてみるとなかなかイカツイ印象だが、平地が少ない集落で農業をする際には、メジャーな事例である。これが水田だと「棚田」とか言ったりする。そしてこれを集落から見下ろせる場合、「千枚田(せんまいだ)」とか言ったりする。明日使えるかもしれない豆知識。
かつてはこの集落でも行われていたようで、
道路脇の階段を登ると、ある程度の平地があり、各区域で耕していたのが窺える。これが何層にもなっているのだ。平地の少ない土地では農作業をするだけで一苦労。集落から少し離れているため、獣害も多かったことであろう。この集落ではもうこの段々畑は使われていないようであった。木が生い茂り、自然に還っていくだろう。
他にも廃村のような雰囲気を感じ取る材料は余すことなく転がっていた。正直、先は長くない集落かもしれない。
今までに得た間伏郷の集落の情報をまとめると、このようになる。
間伏郷の記述が長くなってしまったが、こんなものだろうか。3世帯7人しかいない集落でも、深掘りしていくとそこには色々な歴史が隠されていたのだ。またネットには載っていない、聞かないとわからない情報というのも多く存在する。第一村人氏の証言が全てとは限らないが、貴重な情報提供、感謝する。
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キリが良いのだがもうちょっとだけ続く。Chu!ブログ初心者でごめん。
そういえばまだ我々は上五島に居たんだった。若松大橋を再度渡り、若松島を出て、中通島へ戻り、人口一人の島(もうメインの内容忘れかけちゃったよ)六島に行くため、津和崎港へ向かう。
その道中、少し道を逸れ、上五島内に残っている旧局舎があるとされる続浜ノ浦郷へ。
...続浜ノ浦郷って何ぃ!?(cv:見取り図盛山)
浜ノ浦郷は無いん?何が続なん?続きがあるん??
続の字の見過ぎでゲシュタルト崩壊してきた...
どうやら上五島内にある石油備蓄の場所となっている島もこの字な様子。一般人は立ち入ることはないだろうが。
浜ノ浦郵便局
そんなこんなで到着。旧局舎は現在の郵便局がある場所よりも奥にあるため、一年半前は気付けなかったが、水色で目立つので、遠目からすぐに気付けた。
ここは昭和時代の郵便局にありがちな「車いすでご来局の方は この呼び出しボタンを 押してお待ちください」という看板があった故、すぐに旧局舎という確信が持てた。今はかつての局長が住んでいたりするのだろうか?この局舎の頃は、集配業務も行っていたようだ。
こうしている間に、気づけば時計は9時の針を差そうとしていた。船が出るのは10時頃。そろそろ我々は津和崎港に向かうことにした。
次回、漸くタイトル回収、人口一人の島、六島へ__________
次の記事ができたらこの下にでも載せるとする。更新ペースが落ちて申し訳ない。
人口一人の島に行った話④ ~六島~ - ether2klyのブログ