ether2klyのブログ

旅行記が主になると思います。

人口一人の島に行った話② ~中通島~

どもども。「えーてる」です。

 

私は普段旅行(要出典)を数多くしており、ブログになるネタは腐るほど持ち合わせているのだが、なかなか食指が動かず現在に至る。今回、ブログを書こうと思ったのは、かなりレアな体験であったこと、Twitterで記述するにはとても収まりきらないと感じたためである。拙い文章になるとは思うが、見てくれたら幸いである。

ちなみにTwitterは下記のアカウントである。Twitterから見に来てくれた方が殆どだとは思うが一応。

twitter.com

 

さて本題へ。今回ブログとして書くのは、長崎県五島列島に浮かぶ小さな島「六島(むしま)」に訪問した際のレポートである。

 

この回では、六島に上陸するまでの中通島内での探索で得られたものについて記述しようと思う。

 

前回のブログ~上陸まで~の「上陸」は、五島列島に上陸するまで、というニュアンスになってしまった。タイトル詐欺ですまんかった。

まだ前回のブログ見ていない方は、先にそちらを見ていただきたい。URLは以下に貼っておく。

ether2kly.hatenablog.com

 

 

上五島中通島)に上陸

フェリー太古でグッスリと睡眠をとり、朝6時前に中通島の西部にある港、青方港に到着。寝坊したら福江まで連れてかれてしまうのは恐ろしいが、杞憂に終わった。久しぶりに来たが、やはりこの港は待合所以外何もない。

 

フェリー太古、青方港に着岸

今回、六島に訪れる機会を与えてくれたR774@まとめ屋さん(以下、ななしさん)が駐車場で待ってくれているとのことだったので、駐車場へ。

どんな人なのかと期待に胸を寄せながら、ファーストコンタクト。どこまで書いていいのかわからない故、詳細は避けるが、年齢よりもお若く見える男性であった。ななしさんは昨日、佐世保から上五島有川港に高速船で上陸、島の南部にある奈良尾町の廃集落に行っていたとのことだった。

 

誰も行かないような場所に赴き、現地で聞き込みをするスタイルの方で、これもまたいい旅だな、と感心してお話を聞いていた。

興味はあるが、私のメインは郵便局巡り。平日の日中は血眼になって郵便局を回るため、どうしても優先度は落ちてしまう...

 

聞けばどうやら、今回のボランティアに参加する島外民の人は、ななしさんと私だけのようだった。募集が急すぎたのと、日曜日の間に本土へ戻ることができず、島内泊を強いられ、翌日が月曜日。平日は仕事がある人がほとんど。

街中で「月曜日の朝は憂鬱ですか?」と100人にアンケートを取ったら、8割は「憂鬱です。」と答えるだろう。平日でも授業がなければ(最悪あっても)休める学生というのはなんとも贅沢なご身分である。だからこそ今のうちに色々な場所に行っておきたいのである。

これらの理由により、他に来る人がいなかったようだ。

 

よって今回、中通島内ではななしさんと二人で行動を共にすることとなった。普段一人旅が多い故、たまにはこういうのも楽しい。一人じゃ気づけなかった情報も得られるので良い。

というわけで、まずは青方港から少し車を走らせ、近くのローソンで朝飯調達。五島列島内のコンビニはローソンのみ。セブンとファミマは存在しない。五島列島内にある全国チェーンの店はローソンくらいだろう。ただし、24時間ではない。他の店も閉まっている早朝から、営業してくれているだけありがたいものだ。

私が行きたかった場所は、一年半前に訪れた際は知りえなかった、郵便局の旧局舎がある場所。調べた限り、現存する郵便局の旧局舎は3ヶ所。鯛ノ浦、岩瀬浦、浜ノ浦。どれも地名が浦で終わる。この島の殆どの集落は海に面しており、港町なのだ。周りを海で囲まれた離島というものは、海と密接な関係にある。

まずは、青方港から南西方面にある鯛ノ浦(たいのうら)という集落へ。

 

 

お気づきだろうか?

上記の地図に記された鯛ノ浦は「鯛ノ浦郷」となっている。

これは誤植ではなく、上五島の地名はすべて大字が○○郷で終わるのだ。

これはこの地域特有のもので、例えば壱岐だと、農村地域の集落の字は○○触、漁村地域の集落の大字は○○浦と言ったり、北松浦郡域の大字は○○免、といったケースも存在する。特定の語尾がつく大字名は明治時代で消滅しているものが多く、現代に於いてはかなりのレア物で、この文化が未だに残っているのは長崎県くらいではなかろうか。地名というのは実に奥深い。

 

鯛ノ浦


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車を10分ほど走らせ、鯛ノ浦に到着。湾内には多くの船が錨泊しており、集落内道路は狭め。まあどこにでもありがちな「小さな港町」である。

目的である旧局舎は、ネットでどのような画像であるかはリサーチしたものの、詳細な場所は分からず。

しかし、私は場所の特定は得意なので、おおよその見当はついていた。

集落内をぶらついていると、神社を発見。

 

塩釜神社


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私が惹かれたのは、平成の大合併で無くなった旧市町村である「有川町」の記載が残っていたからである。今現在、上五島は5つの町(上五島、新魚、有川、奈良尾、若松)が合併し、南松浦郡新上五島町になっている。正直「へぇ、神社あるのね~」くらいで通過した。せっかくなのでしっかりと看板を見てみよう。

鯛ノ浦貝塚跡と塩釜神社。書かれていることを要約すると、

  • このあたりで4、5世紀ごろの焼き物が出土したため、古代人が居たということが窺える
  • 湾岸で塩を作っており、塩業や漁業を守ってくださる神様をここで祀っていた

こんなところだろうか。

調べたら、新上五島町のウェブサイトに塩釜神社について書かれていた。引用すると、

祭神は塩釜老翁大人神。 昔、阿瀬津、鯛ノ浦湾内に塩釜が六箇所あり、3年毎に沿岸の木を切って薪とし、土で造った釜に海水を入れ、煮詰めて製塩した。その守護神塩釜明神がここに祀られ、江戸期には釜司も置かれていた。盆の行事である薙刀踊りは、最初に必ずこの塩釜神社前で踊られる。

阿瀬津というのは鯛ノ浦の対岸の地区。

 

よく田舎の商店で「塩」と書かれた看板を目にすることも多いだろう。昔から塩は生活必需品だったことが窺える。

思わぬ道草を食ってしまったが、メインの郵便局旧局舎捜索に戻る。

事前情報でピンク色の局舎であるということは解っていたため、程なくして見つけることができた。

 

鯛ノ浦郵便局

現局舎(左)と旧局舎(右)

現局舎もそれなりに古いことが窺える。私の観察眼的には、これは昭和時代後期から使われている局舎。いつ移転したかも定かではない。旧局舎は開局当初からのものではないかと推測する。(知っている方が居れば、情報下さい。私が喜びます)

旧局舎は昭和初期からのものだと思われる。昔は家と一緒の建物でやっていたことも多く、現代に於いて、かつての局長が住んでいることもしばしば。

一年半前にこちらの郵便局は営業時間中に訪問済なのだが、更に古いのがあったとは非常に盲点だった。しかも現局舎の隣。当時の私の観察眼は燻っていたようだ...では次の旧局舎を見に行こう。

 

旧市町村看板

鯛ノ浦から長崎県道22号有川奈良尾線を南下。しばらくすると私の好物との邂逅を果たす。

かつての有川町奈良尾町の境にて

平成の大合併以前の、旧市町村の看板、カントリーサインである。かつて新上五島町になる以前は、上五島、有川、奈良尾、新魚目、若松という5つの町で構成されていた。現在は住所としても残っていないため、地区名として残されているのだろうか?どちらの看板も、「町」「town」の部分が消されている。共にイルカのデザインだったことが窺える。奈良尾の方は、おめめぱっちりで可愛らしい。

このような旧市町村のカントリーサインが残されている場所は、以下であることが多い。

市区町村の看板に対する考え方は都道府県によっても違い、絵付きの看板もあれば、名前だけの看板もある。各県に赴いた際に意識してみるのも、面白いだろう。

 

岩瀬浦

更に県道22号を南下し、長崎県道211号岩瀬浦港線との分岐を左折。程なくして岩瀬浦の集落に到着した。

国道から少し外れた港町。ここにも郵便局があるのだ。お目当ての岩瀬浦郵便局の旧局舎も場所はおおよそ見当が付いていた。


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こちらもどこにでもあるような小さな港町。空き家もチラホラと。高齢化が進み、このような空き家も少なくない。悲しいが田舎の宿命である。

 

岩瀬浦郵便局

現局舎(左)と旧局舎(右)

Google mapの情報というものは、地方に行けば行くほど少ない傾向にある。ここも一年半前に私が訪問し、写真をアップロードするまで、画像が一枚もなかった。そしてこれは私は知らなかったのだが、ピンが今の局舎ではなく、旧局舎の住所で表示されていたらしい。故に多くの郵趣家は旧局舎の方に案内され、この存在を知っていたようだが、普段郵便局公式ホームページで場所を確認する私は、逆に把握していなかった。

調べによると、2000年に現在の場所に移転。今は民家として使用されている。旧局舎時代は、集配業務も行っていたようだ。集落内にある郵便局は、全景の撮影に難儀するケースがあるが、ここの移転前の建物もその一つであった。

 

 

気付けば4000文字も記述してしまったようなので、この辺りで一旦次回に持ち越し。ブログが長すぎても投稿頻度が下がってしまう故、このくらいがいいのかなと思い。次回は新上五島町内の探索後編。タイトル詐欺が続いてすまんかった。

 

次の記事はこちら。

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