ether2klyのブログ

旅行記が主になると思います。

人口一人の島に行った話⑤ ~六島❷~

どもども。「えーてる」です。

 

私は普段旅行(要出典)を数多くしており、ブログになるネタは腐るほど持ち合わせているのだが、なかなか食指が動かず現在に至る。今回、ブログを書こうと思ったのは、かなりレアな体験であったこと、Twitterで記述するにはとても収まりきらないと感じたためである。拙い文章になるとは思うが、見てくれたら幸いである。

ちなみにTwitterは下記のアカウントである。Twitterから見に来てくれた方が殆どだとは思うが一応。

twitter.com

 

さて本題へ。今回ブログとして書くのは、長崎県五島列島に浮かぶ小さな島「六島(むしま)」に訪問した際のレポートである。

 

この回では、正真正銘の人口一人の島、六島での探索が主となる。

 

前回のブログ、人口一人の島に行った話④ ~六島~の続きである。 

まだ見てない方はこちら

最初から見たい方はこちら

 

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探索

まずは近くにある神社へ

 

若宮神社

参道も自然に還っている

神額を見るに、若宮神社という名前であった。入口が二つあるはずなのだが、もう一つの入口は自然に還っており行き止まりのような雰囲気であった。


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社殿はまだ形を保っているが、とにかく道中、草木が生え散らかしており、動くのも困難であった。

手入れされなくなると、人工物も自然の力によって覆われ、外界から観測することも難しくなってしまうのだ。


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これがもう一つの入り口。鳥居の貫の部分(2本目の棒)、神額(看板的なやつ)も落っこちていた。虚しい...

 

 

教員住宅

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神社の傍らに、社殿とは異なる、ちょっとした住居のような建物を発見。どうやら六島分校の職員が暮らしていた教員住宅だったようであった。草木をかき分け、恐る恐る探索。

 

 

教員住宅の中

 

ここまで来るとただの廃墟探訪になってしまうが、カビついた空気で居心地は良いものではなかった。床も気が腐り抜けている箇所も見られた。

児童や一般と書かれたダンボールがあり、おそらくこれは教科書等だったと思われる。教員の住宅だったと偲ばせる備品だ。

 

 

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六島郷敬老会という看板。敬老会開催のたびに用意していたものを、この部屋に保管していたのだろうか。かつてはもっと人がいたんだろうというものを感じた。

 

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1996年の少年サンデーも発見。コナンの単行本、11巻が発売中という文字。まるでタイムカプセルを開けたかのようだ。私はまだ生まれていない年だが(笑)

無住になったのはいつだか知らないが、30年は経っていないようであった。

 

 

 

続いて集落を観察。

集落の様子


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無惨にも、ありとあらゆる場所が廃墟と化している。廃村、という言葉が相応しいだろう。いつから放置されているかわからない建物。既に倒壊しているものもあった。ゆくゆくは多くの建物が倒れていることだろう。


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しかしライフラインである水道はしっかりと整備されていた。Kさんが自分でやっているのだろうか?困ったことがあっても船に乗らないと他の人間は来れない。島でひとりぼっちというのは、山奥でひとりぼっちよりも大変そうである。そしてたった一人のために置かれている選挙ポスター。これには驚いた。役場のない離島での投票は、期日前投票。船に投票箱を積んで、島内で行うケースが多いようだが、一人のためにもそのような方式をとっているのだろうか?

 

 

 

観音堂

集落から獣道を上ると、観音様が祭られている祠があった。


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存在を知らなければまず入ることはないであろう道。この花は造花?ではないとしたらKさんがお供えしているのだろうか。

さらに奥まで道が続いていたが、山頂まで繋がっているのだろうか?もちろん誰も歩いていないためかなり草木に覆われていた。


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自分がどこをどう歩いているかも分からなくなってしまう。地図に載っていない道も多々。そしてそれらは自然に帰りつつある。

 

 

 

六島分校

続いては、2001年に休校、そして2017年に正式に廃校となった六島分校へ。休校から既に20年以上経っており、廃校になったのは最近といえど、長らく時は止まっているだろう。


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学校のそばにも教員住宅は存在していたようだ。手前に見える柵、これはグラウンドを牧場として使用していたため、比較的整備されており草は生え散らかしていない。しかし、教員住宅内は動物のフンが多く足の踏み場がなかった。神社近くの教員住宅と似たような構造ではあったが、目ぼしいものは見当たらず。

右に見えるは体育館、左が校舎だ。二階建てでかなり大きめ。1974(s49)年に建てられたもののようだ。体育館は1979(s54)年。

 

 

体育館


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まずは体育館へ。既に扉はオープン。そして動物のフンもある。察した。

お邪魔しまーす

 

 

うわっ、カビ臭い。下駄箱に靴を脱いで上履きに履き替える...などする訳もなく、体育館の中へ。

 


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いや。いやいやいや。凄すぎません?

六島には申し訳ないけど、「廃墟としての完成度」が非常に高い。なんでこう全部やりっぱなしなのか?次もまた遊びに来るからこのままでいいや!って感じで放置しておいたら、その次が無くなってしまった、そんな感じだろうか。

バレーボールのネットもかかりっぱなし、卓球台出しっぱなし、バトミントンのラケット、ゼッケンもそのまま落ちている。廃墟オタクにはあんま知られたくないスポットだったりして。

 

 

校舎

体育館を出て教室を回る。立て付けの悪い部屋も何個かあったが、殆どの部屋には入れただろうか。

撮った写真が多すぎるので、ダイジェスト的な形で写真を貼っておこう。

 

 

職員室


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あらゆる資料が置き去り。いいのか。てっきり蛻の殻だと思っていたため驚いた。自分が教員関係の仕事をしていたら、資料を読み込んでいたに違いない。

机に「希望」と書かれたノートとペンが置かれていて雰囲気良すぎる。決して自演ではなく、この状態で置かれていたのだ。

 

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黒板もそのまま。見るに、卒業生が幾度なく訪問している様子が窺える。(h)24年だから2012年だろうか。新めて、は改めての誤字だろうか?定期的に綺麗にしに来ていたのだろうか。現在は動物のフンだらけで足の踏み場が...

 

 

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すばらしい 分校よ ありがとう

ふるさとは 遠きにありて 想ふもの

そして悲しく 想ふもの

 

六島分校 今も昔も 変わらず このままで

 

 

 

泣いちゃうってこんなの。全く関係ない部外者だけどしんみり来た。良すぎるだろ。エモい(語彙力の低下)

 

 

教室


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教室内には机や椅子の姿はなく、壁際にある棚に本が置き去りになっている程度。そして動物のフン。

 

正面の黒板に目をやると、

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ふるさとの 二十四の瞳

ここで育む 六島分校

 

荒廃した 学舎にも 心は残る

 

 

 

...これ以上私の涙腺を刺激させないでくれ!!良すぎるのよ。さては文才が潜んでいたな?

ちょこちょこまた来ました報告が黒板に書かれている。母校がなくなるってのは残念だが、建物が残ってるだけでも嬉しいもんだろうね。

 


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廊下はこんな感じ。動物のフンだらけな点を除いては綺麗である。

 

 

理科室

続いて理科室。


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理科室特有の机、そして見覚えのある実験機器達。
実像虚像見るやつとか、電流電圧計とか懐かしいね。もう使い方覚えてないデスワ。

 


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これは音楽室...ではなく、廊下に落ちていたアコーディオンだった何か。そして給食室は中に入れそうで入れず。

 

 

音楽室


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皆さんは自分の母校の校歌を覚えているだろうか?

私は断片的にしか覚えていない。小学校時代のは意外と覚えているが、ちっとも歌わなかった高校時代の校歌は全然記憶にない。というかなんだこの黒板のアニマルは。絶妙に不気味である。


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まだまだ使えそうな雰囲気はあるものの、床が動物のフンだらけの空間に置いてある楽器は触りたくもならない...

 

 


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廊下にて。蛇口はもちろん出ないだろう。

落ちている缶は下手に刺激したら爆発とかしそうで触らないに越したことはない。

抽象化された六島の地図。こう見るとかなり港近辺で集落が完結しており、南西部以外は何もない。

 

 

図書室


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小さな田舎の学校の図書室というのは、せいぜいこんなものなのか。教室の半分以下の部屋の両側にしか本がない。本が好きな生徒であれば全部読み切れそうな勢いだ。知らんけど。

 

 

教具室


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あまり私には馴染みのなかった言葉だが、どうやら文字通り授業で使う道具等を置いておく場所のようだ。

 


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如何だっただろうか。六島分校は使用されなくなってから20年以上経つが、訪問者が滅多にいないためか、窓ガラス等の破損も殆ど見られず、どこも状態は良いものであった。黒板の文字がなんとも哀愁を漂わせる、へき地等級5級の学校なのであった。

 

なぜか学校のホームページが現代まで生きながらえているのをインターネットの海で発見したので載せておく。時が20年前で止まっているが。

ojika-ed.net

 

 

墓地

学校を後にし、近辺の探索へ。

六島で亡くなった方のお墓がある場所は、集落から少し離れた南西部にある。小値賀町の持っている資料には、墓の地図記号が記載されていたようで、同行者のななしさんが見に行きたいとのことで捜索。

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集落を外れると、長らく誰も往来していない道だからか、道路脇からの草木の主張が激しい。地図に載らない小道を曲がってお墓に行けるが、それより奥の道は藪に閉ざされていた。

 

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道中、猪を捕らえる檻が設置されていた。しかしながら捕らえられたとしても、Kさんがわざわざ確認して猟師を島に呼ぶというのは恐ろしく手間がかかる。離島の獣害は六島に始まったことではなく、間伏郷編でも記述したが上五島、日本全国の離島で起きている。


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草木に覆われて本体を肉眼で捉えるのがやや困難だが、しっかりお墓はそこに鎮座していた。Kさんと同じ苗字のお墓があった。おそらく親族だろう。

 

 

 

別れの時

一通り探索を終え、六島地区公民館へ戻ってきた。この島とのお別れの時も近づいてきた。

またしばらくKさんはひとりぼっちなのだろう、と思いきや、交流のあった方が数日後に来るとかなんとか。インターネットがあるから一人じゃない。共言っていたし、ご年齢の割にはネットを使いこなしている方のようだ。

 

せっかくなので記念撮影をし、帰りは船長が現港の方に付けるというのでそちらへ移動。


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とても港へ行く道だとは考えにくい...

でもこんな道でもKさんは平気で軽トラを走らせて港まで移動するのだ。

 

 

 

現港


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あらまあ。結構広いじゃないの。

旧港から上陸したため、現港をこの時に初めて目の当たりにした。思ったより開けていて驚いた。

定期船発着場まではもう少し右側の道を進む。


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この島でヤギを放し飼いしていると聞いていたのだが、さっぱり居ないと思いきや、こんなところに居た。そこは緑色の大地だけど草は生えてないし食べれないぞ~
こんな一人しかいない島ではあるものの、ギリギリ定期船も来る。行く時は事前にKさんに連絡が行くらしい。迷子、遭難した例もあるため、Kさんは二人以上で来ることをお願いしていた。

 

 

船長の船を待っていると、な、な、なんと、


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あ~~~っ!!

お客様お客様お客様!!困ります!!あーっ!!!お客様!!困ります!!あーっ!!!困ります!!あーっ!!!!困ります!お客様!!困ります!!あーっ!!!あーっおお客様!!

 

ヤギが桟橋で放尿開始!!なんということでしょう。思わず一同苦笑い。

よく見たらなんかモノっぽいものも見えてるし。

 

こうしてヤギの小便が六島最後の記憶となった...(笑)

 

 

帰り道、船長の隣、特等席でおしゃべりしながら上五島、津和崎へ戻る。

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魚群探知機というやつだろうか。陸のgpsとは違い、水深の等高線も書かれている。そして航行速度はノットで表している。1ノットは1時間で1海里(1852m)進むという単位。今回は16.4なので、1.852を掛けてあげるとおおよそ時速30kmということになる。小学生のさんすうの時間でした。

 

 

 

舟森集落跡


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途中船長が野崎島に接近し、減速。何があるのかと思いきや、舟森という野崎島の南端にあった集落の跡だった。画質が粗いが、十字架があるのが見えるだろうか?野崎の集落から4km以上、マトモな道路なども無い中、かつて人力のみで切り拓いた土地のようで、先人達には畏敬の念を抱く。

 

 

 

ものの数十分であっという間に津和崎港に戻ってきてしまった。

戻ると、唐突に船長の知り合いがニコニコしながらウェットスーツ姿で登場。何かと思えば、デカい伊勢海老をゲッツしたのこと。見せてもらった。

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これは大きい。指で👌サインもしてご満悦の様子。

ここで、長崎県の漁業調整規則と漁業法による規制についてのホームページを閲覧。

長崎県漁業調整規則について | 長崎県

これは魚貝類等の水産資源を守り、漁業秩序を維持するための規制等というもので下記の生物の禁漁期がそれぞれ記されている。

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伊勢海老の欄を確認すると...

 

5月21日から8月20日までとの記載が。そしてこの日はちょうど5月21日。禁漁期初日である。アウトーー!!全然👌サインじゃないよ!!アウトだよ!!

まあ、獲る瞬間を見たわけではないし、こういうのは現行犯じゃないとわからないから、セーフかな?ウェットスーツ濡れてたけど。

 

 

 

 

そうしているうちに、有川から六島に同行した人、船長ともお別れの時間。

しかしながら、ご飯行きましょう!という話になり数時間後に有川で再会を交わすのはまた別のお話である...

酒を飲むと運転できなくなるので、運転代行か宿に泊まるかの二択になるわけだが、船長は宿泊を選択。そして船長が有川で飲んだ後いつも泊まる宿と、私の泊まる宿が一緒だった(笑)

 

 

実に有意義な一日であった。

 

 

六島まとめ

今回、私なりに六島で探索した箇所をまとめた。しかし道が地図に記載されていない場所も多く、あくまでおおよその場所として参考にして頂ければ幸いである。尤も、参考にする訪問者が今後現れるかは定かではないが...

廃墟オタクにとっては六島分校は訪問しがいがあると思う。しかし先述の通り、遭難、迷子等でKさんの迷惑にならないよう、複数人での来島でよろしく頼む。(複数人で来い、ってオタクが一番困るやつだよね、とは思いつつ)

 

六島まとめ

地理院地図Vectorより。

場所は大雑把。❌の箇所より先は藪が濃くよくわからないのと、猪も居るので深追いは禁物である。

 

 

 

今回多くは触れなかった、Kさんのインタビューについては、ななしさんの六島まとめツイート、ならびにpdfを参照していただけると、より六島についての歴史やKさんの生い立ち等がわかることだろう。私よりも何倍もわかりやすく事細かに書かれている。改めてすごい方だと感じた。そらフォロワー9万人もいるよね。

下記にURLとpdfを載せておく。

 

drive.google.com

 

 

これでひとまず人口一人の島に行った話は終了とする。実は謎のヨットマンなる人物も定期的に六島に来るようだが、今回お会いはできていない。

この後も少し中通島内で探索や翌日の行動等があるのだが、今回の趣旨から外れてしまうため、一旦おしまいとする。他のレポートも書きたいし?

今回、一通のツイートから始まったこの旅であったが、非常に貴重な体験をすることができた。草刈りボランティアは今後も開催するようなので、気になった方は是非とも参加してもらいたい。ななしさんが期日が近づいたらツイートしてくれることだろう。分校にも行けるチャンスである。

 

 

今回訪問するにあたって、車に乗せてくれて、色々中通島内での寄り道、そして道具などもわざわざ用意してくれたななしさんには、大変頭が上がらない。また船長や地元の方、六島のKさんには感謝申し上げる。何もないかもしれないが、また機会があれば来島したいところだ。今度は何かしらの餞別を持っていかねば。

 

 

 

ではまたどこか別の記事でお会いしましょう。

 

えーてる